ここでいう「ノーマル」は、スティディな相手と一対一でするセックスのことである。相手を鞭で打とうが、アナルでつながろうが、それは別の意味でのアブノーマルなので、ここでは問わない。

 人間にとって、セックスが秘事であるというのは、排泄行為を人に見せることができないのと同じくらい、強固に刷り込まれたタブーのように思う。

 ただ、後者が状況の汚さに対する嫌悪感を伴うのに比べ、前者は個人の感じ方にもよるが基本的に美しいものだし、覚めた意識でする排泄よりも、快楽に溺れられるセックスの方が、タブーを乗り越えやすいのはある。更に言えば、セックスは排泄とは違って、他者の介在が前提の行為なのも大きい。
 上記の違いから、恋人や伴侶を相互鑑賞の世界に導くための方法論が導き出せる。パートナーとのラポール(信頼形成)が事の成否を大きく左右するのは当然だが、相互鑑賞する相手のカップルがいること自体は、決定的な心理的障害にはならないと言っていい。


 男性がパートナーの女性に対して、繰り返し訴えるべきは以下の3点である。

(1)あなたは美しい。あなたのヌードは、まぶしい程に綺麗だ。
(2)セックスは愛の儀式だ。少なくとも、ぼくらにとっては間違いなくそうだ。
(3)あなたの美しさを、あなたと愛し合っている事実を、ぼくは皆に自慢したい。

 本心からそう感じている男性も多いだろう。自分の言葉で、照れずに伝えればいい。


 そして、不安を取り除くためのアプローチとしては、次の3つが効果的である。
 
(1)相手カップルもセックスを見せる訳で、恥ずかしいのはお互い様だと説得する。
(2)相手カップルと秘密を共有するわけだから、安心して大丈夫だと伝える。
(3)行為に入る前に、四人で酒を飲む。セックスの最中も、口移しでワイン等を飲ませる。

 セックスという行為に対してであれ、アルコールによる効果であれ、酔っている方が相互鑑賞を受け入れやすいのは間違いない。逆に女性の側は、雰囲気や詭弁や酔いに流されることなく自分で判断し、責任の取れる範囲で行動されるのがよいと思う。