混浴風呂は興奮する。実際に現地に行ってみると、普通に年配の方々ばかりだったり、水着着用だったりするのだが、妄想の中での混浴風呂は実に興奮させられるものだ。

 映画の方は観ていないが、原作で読んで混浴風呂での出会いに淡い興奮を感じたのが、片岡義男の「彼のオートバイ、彼女の島」の冒頭シーン。オートバイで旅をする主人公が、旅先で出会った女の子と一旦別れた後、夕立に遭ってしまいずぶ濡れ。そこで偶然見つけた混浴の温泉でその子と再開して……というストーリー。

 この作品は官能小説ではないし、この混浴風呂でのシーンも決していやらしくはない。三島由紀夫の潮騒の「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と言うシーンに通じる、青春映画っぽい爽やかさがある。現実にも、若い女性と混浴温泉で二人きりとなると、こういう対応になるのが自然だろう。

 一方で、妻物語というサイトに投稿された「衝撃~混浴のトラウマ~」という物語がある。同サイトの過去ログ(http://homepage3.nifty.com/tumamono/kakolog/bbs50112.html など)に残っているので、興味のある方は読んでみていただきたい。何篇かに分かれている上に未完だが、混浴風呂での陵辱というテーマを扱った官能ストーリーだ。

 現実にはこうした事は起こりそうにないが、男性が混浴風呂に興奮するのは、そこでは「女性が無防備な裸を晒す正当性」を与えられているのが大きいのではないだうか。つまり、女性は言い訳ができる。風呂に入ろうとしたら、たまたま混浴だった。たまたま中に男性がいたが、湯船にタオルをつけるのはマナー違反だし……といった具合に。

 そこにリアリティが生まれる。女性を口説く時に重要なのが、言い訳を用意してあげる事だと言われる。その意味で、そうした行為の正当性が保証されれば、若い女性が混浴風呂に入ってくる事もあるのではないか? 男としては、その妄想を楽しむことが出来る訳である。